島の歴史

古代のモロカイ島・・・・・

フレンドリーアイランドと呼ばれるモロカイ島は、2つの火山から成り立つ島で、島の発見はイギリスの冒険家、キャプテン・ジェームス・クックのハワイ諸島発見以前にまでさかのぼります。 かつてカメハメハ王がオアフ島の征服を計画していたとき、居住地としていたのがモロカイ島です。

ハワイ諸島の中で5番目に大きな島で、ハワイがハワイ国であった時代の面影、スピリッツをいまだに色濃く現存させているスピリチュアルな島です。カメハメハ5世の側近として仕えていたカフナ達はすべてモロカイ島のカフナであると言われており、当時のハワイ王国を実質支えていた指導者たちの島でした。非常に信仰深く現在でも島には数多くの教会が現存しています。またカラウパパ半島で献身的にその一生をささげたダミエン神父もモロカイ島の歴史にはなくてはならない存在です。

モロカイ島は今までも、そしてこれからも、変わることない美しい自然を守り続ける島です。



ハワイアンが暮らし始めた頃のモロカイ島・・・・・

 

ハワイ諸島以外の人々によって島が発見されたのは、1778年11月、イギリスの冒険家キャプテン・ジェームス・クックが最初でした。最初にモロカイ島に住み着いた西洋人は、キャプテン・ジョージ・ディクソンでした。1786年のことです。

島の東、ハラワヴァレーにハワイアンは居住し始めます。当時このエリアは大勢の人々が暮らす町として大変栄えていました。豊富に湧き出る水、作物に適した豊穣な大地と海が人々の暮らしを支えていたのです。南の海岸ラインにはかつて70箇所以上のフィッシュポンド(養魚池)が建造されていましたが、現在確認できるものはほんのわずかで、最近では地元の人々によって復興作業が行われています。

Molokai was renowned for the wisdom and power of its religious leaders, greatly respected and often feared by others in the archipelago. In the 1500s, the famous prophet, Lanikaula, was so revered that pilgrims came from all the Islands to seek his wisdom and advice. Molokai became a place of retreat, protected from war by its religious prestige and the marital alliances of its chiefs.

Others were reputed for sorcery. Legend tells of the Kalaipahoa, or poisonwood gods, entering trees on Maunaloa. The grove is said to have been so poisonous that birds fell dead as they flew over it.

Legend also tells us that Laka, goddess of the hula, gave birth to the dance on Molokai, at a very sacred place in Ka’ana. This is recognized on Molokai every May, at a celebration of the birth of hula, called Ka Hula Piko.

When Laka died, her remains were secretly hidden somewhere beneath the hill, Pu’u Nana. The hula was finally established, the work of Laka was complete, and the dance flourished throughout Hawaii.1800年代に入ると、キリスト教徒たちが島に多く移り住み1832年には島の東側ハラワバレーに最初の教会が建てられました。この教会の名残は、現在でも当時建てられた壁の名残を見ることができます。

カメハメハ王5世が1800年代ハワイ諸島を統治していた時、王はモロカイ島カウナカカイの海岸沿いに別荘を建築しました。原始的な材料を使った別荘であったにもかかわらず、藁ぶき屋根の建築そして円形ラナイ、絨毯が敷かれたフロアなど豪華なものでした。現在のハワイ諸島が、観光客の人気スポットNo.1になる遥か以前、ハワイ国の時代から、モロカイ島は人々にとって心を休めることができる癒しの場所であったことを裏付ける歴史の一幕です。

カメハメハ5世は島の農地や放牧地も島の居住者から購入して管理していただけではなく、東海岸に多数のココナッツの木を植林したり、西側の森林では鹿を放牧したりと、モロカイ島の自然環境を裕福なものにしていった人物でもあります。 現在、カメハメハ5世が植林したココナッツの木々は、ハワイ諸島の中で現存するココナッツグローブの中でも最大規模であると言われています。(Kapuwaia Coconut Grove)。

また、西側カルアコイの森林地帯には、当時カメハメハ王が放牧した8匹ほどの鹿が現在は、自然に増えて夜には道路に出てきて道路わきの草などを食べるシーンを頻繁に目撃することができます。



ダミエン神父・・・・・

 

モロカイ島の カラウパパ半島 はハンセン氏病隔離施設として、悲しい過去と共にその名が有名になった場所です。 ハンセン氏病が中国からハワイへ持ち込まれ伝染したとき、3方が海に面していて残る1方は断崖というロケーションが、伝染病患者の拡大を阻止するため、また患者の隔離に最適であったからです。 しかしながら、隔離患者が到着してからおよろ7年間もの間は、十分な施設、設備のない状態で患者達は苦悩の日々を送ります。

1873年にベルギーからダミエン神父が到着すると、彼はその後、1889年に自らもハンセン氏病で亡くなるまでの間、モロカイ島で献身的にハンセン氏病患者の看病、設備や施設の整備などに自らの人生を捧げました。

ダミエン神父は、カソリックの信仰もモロカイ島に広めており神父が建てた教会もいくつか現存しておりますが、モロカイ島での神父の生活の大半は、ハンセン氏病患者のケアに費やされていました。

現在、カラウパパ半島は国定保護地区に指定されており許可なく立ち入ることはできません。かつてハンセン氏病であった人々の中で任意でこの地に残って生活を続けている人々がおよそ20人ほどいます。ミュールライド、ハイキング、セスナ機のいずれかの方法で、地元ガイドの案内の元、カラウパパを見学することが可能です。


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ハワイ州モロカイ島の総合案内所。 Since 1999

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